2013年03月31日

父への思い

もうすぐ息子が高校生になる。
そこで自分が高校生になった時のことを思い出してみた。

自分では普通の良い子だと思っていたが、今思えば親には随分と心配をかけていたと思う。

実際、中学生の私はやんちゃだった。
父親とは全然口をきかなかったし、というより完全無視をしていた。
当時流行っていたツッパリとは違うが人と同じは平凡でつまらないと思い込んでいた。

自分は親よりも頭が良いと思っていたし、世の中のこともずっとわかっていると思っていた。
若気の至りと呼ぶのは簡単だが、かなり重症だったと思う。

平凡な父親のことを軽蔑し、殆ど憎んでいたとさえ言える。

それでも父は私のムラキに付き合って一緒に出掛けてさえくれた。
たいていの場合、車での移動が必要な時に足として使っただけだった。
私は、なんという最低の男だったろう。

実際、15,6のガキに何ができたのか?
何も出来なかった。
学校の勉強すらロクにできず、中の上レベルの高校に進学するのがやっとだった。
自分は賢いと思い続けていたのに滑稽極まりないと思う。

それでも父を軽蔑することだけは、止めなかったのだから呆れてものも言えない。

父との関係がそこそこ良くなったのは、(父が歩み寄ったからだが)高校に入ってからだ。
その頃から、時々週末に一緒に飲むようになった。
ビールがうまいとも思えないガキだったが、ウイスキーは好きだったのだ。
好きというより、洋酒を飲むことがカッコイイと思っていた。

なので普通の高校生が知らないような銘柄のものを選んで父に買ってもらった。
当時は身分証がなくても(必要だったら買えないが)買えたので自分で買いに行ってもいた。
それなりに安い店を調べて手に入れていた。
もちろん高校生だったので大してお金があるはずもなく、安酒を買うばかりだった。

しかし、父にネダればアーリータイムスとかジャックダニエルが飲めたのだ。
当時は関税が高く平行輸入品も無かった。
アーリータイムスが1本3800円だった。その後円高か何か理由は知らないが3700円になったときはそれだけで嬉しかった。
今では信じられないかもしれないが、当時ワイルドターキーの12年物が1本1万円だった。
当時飲むことは無かったが、今だに高いイメージは鮮明に残っている。

話がズレてしまった。

こんなカッコばかり気にするガキに付き合ってくれた父に偉大さに乾杯したい。
今になって父のカッコよさに気が付くとは。

父も70歳くらいになった。実年齢を知らないのもどうかと思うが、自分の歳や子供の齢も曖昧なのだから許してもらう他ない。

今日は父に感謝して一杯のみたいと思う。

息子のことはまた別の機会に書くことにしよう。

アンドロメダ

  


Posted by ぽぴ社長 at 18:38Comments(0)